「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」
こんにちは。
今日は好きな本の紹介をしようと思います。
タイトルがその本の中からの言葉なんですが、
この「慾」が「欲」よりも好きです。
「慾」の方がリアルに感じるのですが、欲には心が付き物だからでしょうか。笑
と、まあ慾の話はここら辺にしておいて、、、
はいそうです!
今日ご紹介するのは
です。
『トカトントン』は短編小説です。
いまどきの若者にはかなり刺さる内容なんですね、これが。
軍隊に勤めていた男は、終戦の放送を聞いた際に
「終戦はしたが、それは政治上の事だ。我々軍人は抗戦を続け、最後には一人残らず自決して、以って大君におわび申し上げる」
と中尉に言われます。
もっと分かりやすい言葉で言えば、
戦争は終わったけども軍人は戦い、自ら命を絶つことで天皇への謝罪とするのだ!
ってことですね。要は、死ねと。
男は、これを聞いて「死ぬのが本当だ」と思います。
しかしその時、金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞こえたのです。
それを聞いたとたんに、悲壮も厳粛も消え、男はきょろりとなりぼんやり故郷へ帰省。
それからというもの、男は何に打ち込もうとしても打ち込むことが出来なくなります。
何に情熱を注ごうとしても、途中であの音が聞こえ、その瞬間どうでも良くなってしまうのです。
男はこの悩みを手紙に書き、男が好きな作家に送って助けを求めます。
(正確に言えば、このお話は、男の手紙を読んでいるという形式なので、冒頭から終わりにかけて男の日常と病状が書かれており、最後に男が「教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう」と書いています)
この手紙を受け取った作家は
「十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。」
とした上で、
「"身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ"
このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。」
と返答します。
この男に起こっていることは、誰にでもある事じゃないかなと思いながら、トカトントンを読みました。
男ほどの重症ではないですが、"身も心も燃え尽きるまで全力で何かに熱中する、何かを成し遂げる"
って、言葉以上に難しいことじゃないかなって思うんです。
もしそれが出来たにしても、世の中から認められなかったり世の中の人に大して気にもされなかったら
(トカトントンの中には「世間はほとんど興味も示さない」「世間の人たちにほめられる」という表現が出てきます)
やるせなく感じるかもしれません。もしかしたらその瞬間、トカトントンが聞こえるかも。
最後の最後、作家からの返答部分は何度読み返したか分かりません。笑
身を殺して霊魂をころし得ぬ 身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る
二つの違いは霊魂の違いですよね。
ころさないか、ころすか。。。
また、復活の見込みのない完全な滅びの象徴とされることもあるらしいです。
これを加味してもう一度文を読むと、明らかに二文目の方が強い印象を受けますよね。
ただころすのではなく、ゲヘナ(もう二度と復活しない)で滅ぼす、と。
男は、世の中がどう見るかということを気にしていました。
前者が世間一般の人を指し
後者が男にはできない、身も心も捧げて何かに取り組む人のことを指すとしたら
男は前者を懼れる(畏敬する)必要はなく
後者をおそれるべきだ…
という解釈がちょっとは通るかな〜とか
いやいや、もっと他の解釈が…?!
兎に角、
「身も心も犠牲にして、本気で何かに取り組むことは難しい。だからこそそれができる人をおそれるべきである」
ということを改めて学びました。
かなり響く内容ですので、ぜひ手にとってみてください♪
読んだことがある方、どんな解釈をしたか教えていただけると嬉しいです!
では今日はここら辺で。